2024年3月31日日曜日

日記

 疲れた。

そう思ったときは大抵海に行く。ぼーっとしながら海を見つめ、波の音を聞き、潮風に晒される。

今日は夏のように暑かった。

そして人が多かった。


小型船が何度も視界を行き来し、乗っている人のようなものが奇声を上げる。

波は激しく揺れる。

そこら中から人の声ばかりが聞こえてくる。

30分ともいられず帰ってきたが、虚無だった。

2024年3月27日水曜日

日記

あからさまに苦痛なことは減ったと思う。
それでも、この先生き続けるのが憂鬱だ。
この先待ち受けているイベントは、虚無が楽しそうに着飾っているだけだという確信がある。

これはもう、政府が悪いとか、努力が足りないとか、そういうものではなくて、自分が人間である以上どうしようもないものだと思っている。

2024年3月24日日曜日

日記

 書くことがない。

最寄りのスーパーでじゃがりこのLサイズがMと同じ値段で売っていることが気になるぐらいで、天気が優れずどこにも行けていないし、特に何かあったわけでもない。


2024年3月23日土曜日

日記

 朝から天気が悪かったが、夕方ごろになったら晴れた。


未だにこたつを点けているし、卓上ストーブがないと手元が冷える。


近所の桜が開花する気配はまだない。例年より遅い気がするがどうだっただろうと調べたら、意外とそうでもなかった。昨年が早かったようだ。

高知でようやく咲き始めたということなので、うちの近くも3月中には咲き始めそうだ。

ただ、前を通りかかるたびに見ているのだが、蕾すらまだ見えていない気がするので、本当にまもなく咲き始めるのだろうか?(桜の成長スピードがわからないので何とも言えないが)

2024年3月22日金曜日

日記

 何故人は睡眠をとらなければいけないのだろうか。


やりたいことの多さに対して、時間が足りない。

時間を増やす手っ取り早い方法は睡眠時間を減らすことだ。

しかし、睡眠時間を減らそうとしたところで、結局睡眠が必要な状態すなわち脳がはたらかない状態であれば、結局作業や勉強は捗らないので、睡眠時間を削る意味がなくなる。

だから、睡眠はとらなければならない。

これには眠い眠くないだとか、不眠症だとかは関係ない。眠れなくても睡眠時間が足りなければ頭ははたらかない。


他の時間を削るか、やりたいことを削るか、あるいは両方か。

生きるためにやりかいことを削って不本意な時間を過ごさなければならないのはやるせない。

2024年3月21日木曜日

日記

 理系学部の中には、あからさまに男女比が偏る学部学科が存在する。

一方、高校の文理選択ではそこまで偏っていなかったりする。しかし、よくよく見てみると、生物選択や化学選択は女子が多いが、物理選択は少ない、なんてこともある。

理系に来る女子の半数は(適当だが)看護か薬学志望だ。興味のある分野にはある程度性差が出てしまうものなのだろう。

これは持論だが、性別による本能的な関心の違いではなく、環境によるもの、即ち後天的な要因ではないだろうか。身近でないものや、そもそも見たことのないもの、周囲もそこまで関心がないものに興味は持たないと思う。


自分は情報学系を出たのだが、女が少ない学部学科の筆頭と言われているまさにその通りで、だいたい9:1ぐらいだった。だから何って話だが、少しだけミクロ寄りの視点で見てみると、この9:1という数字は1:1に近づくことがある。

先程分野によって人気の偏りがあるという話をしたばかりだが、これは情報工学系という狭い範囲内でも観測できる。研究室や選択科目の履修者を見ればわかるのだが、殊に音響系は女性人気が高い。次いで画像系も人気である。(女性と限らずとも男性にもそれなりに人気はある)

情報系の音響・画像って何すんのって話だが、多くはデジタル化したものをわやわやと弄ったりする。例えば、2つに共通するのに雑音処理がある(画像に雑音という単語はやや違和感があるかもしれないが)。要はデータ全体のうち、邪魔な部分を削ぎ落す作業であり、いかにして「残したい部分を残しつつ、邪魔な部分を削ぎ落せるか」が肝になってくる。

話を脱線させると、上記のようなものは「信号処理」と呼ばれる分野に該当する。「フーリエ変換」という言葉を聞いたことがあるかもしれないが、こいつがよく使われる。

信号処理分野の研究では、音響(音声)画像の他に聞こえない音の超音波や脳波を扱ったり、データ圧縮、天気予報や経済予測なども含まれる。


女子の集まりにくい学部学科で優遇措置を取ろうとする大学がぼちぼち出始めているが、あまり解決にはならないと思う。というのも、「優遇措置があるからこの大学にしよう」はあっても「優遇措置があるからこの学部(学科)にしよう」なんてことはまずない。

興味関心を早い段階で与えるべきだし、それは教育熱心な家庭だけでなく、もっと広く届けるのが望ましい。

2024年3月20日水曜日

日記

 かの化学テロの発生から、来年で30年となる。

数か月前に、新幹線内で放置されていた袋(?)の中身を確認するために数時間乗客が足止めを食らったというニュースがあったと思う。

結局、袋の中身は弁当の空き箱だった。


これに対し、「たかが弁当のゴミごときで大袈裟すぎる」という声が上がったが、どちらかというと少数派で、多くは「弁当のゴミでよかった」という声だった。

そのような認識がここまで広がったのは、かのテロ事件があったからだろう。


ネット上で当時の警察無線記録の一部の動画が上がっている。

https://www.youtube.com/watch?v=3r0-4vurzlE

警察の対応の早さに舌を巻くと思う。

一度整理したいと思い、聞きながらおおざっぱに表にまとめたのだが、途中から混乱してきてわけがわからなくなった。これを裁き切る警視庁の人は何者なのだ。

SubwaySarin2.png

東京の地理がわからないとちんぷんかんぷんだが(私も実はよくわかっていない)、

・だいたい丸の内線千代田線の重なる付近の丸ノ内線内側に皇居がある

・築地の南側がお台場

・霞が関周辺・北東エリアに各省庁がある

ちなみに、東京駅は丸の内線千代田線の東側の交点・大手町駅のやや南側である。


下の表は、上のURL先の警察無線を簡単にまとめたものである。

一部省略、誤情報が含まれる可能性あり。直接的な無線内容でない補足内容も含まれる。


wikiを確認してもらうとわかると思うが、動画中では丸の内線の被害は認められていない。


・8:21に最初の報告が上がってから5分でゲリラ事件の可能性を疑っている

・異臭騒ぎ→煙発生→爆発物ゲリラ事件→毒物使用 と徐々に解明されていく

・10分以内で二次被害の危険性が指摘


被害拡大や捜査の混乱を呼んだのは、以下の点ではないだろうか。


①同時多発的に毒物が撒かれたこと

・初めは日比谷線内でゲリラ事案が発生したという認識が、途中で千代田線内での体調不良者の連絡あり


②毒物の正体がサリンであること

・異臭(シンナー、ガソリン)、煙が上がっている→爆破事件と思うのが自然

・地下鉄で毒物を散布すると普通は考えられない


③地下鉄であること

・逃げ場がない

 ※数年前のハロウィンの時期に京王線で起きた事件も、同じ理由で地下を狙われた

・毒物の場所の特定

 そもそも数がわからない、電車なので移動する

・毒ガスの充満した電車がそのまま運行


④新聞紙で包んだ袋を傘でぶっ刺し穴をあけて散布したこと

・新聞紙で包まれたもの→中身を確認するために開封 当時なら自然な行い

 素手で触って持ち運ぶなども

・誰が犯人か

 8:35の「電車外に蹴り出した」男性が犯人の可能性も通報時は考えられた


























































この事件がきっかけで「電車内で不審物を見掛けたら安易に触れずに連絡」「然るべき機関が到着するまで開封しない」という意識が広まった。

うろ覚えだが、駅内のゴミ箱が減ったのもこの事件がきっかけという話も聞いたことがある。

さらにもうひとつ、「宗教=恐ろしいもの」という認識が広まったのもこのときだろう。

最も、オウムは宗教の皮を借りたテロ集団であり、宗教と呼ぶのはいささか誤りのような気がする(他にも「宗教は危険」という話に某中東の宗教が出されるが、あちらはれっきとした宗教である。ただ、多数ある派閥のようなもののうち、特に思想が激しい者たちが"我々から見たテロ行為"を行っている)。


今日の自分たちの命は、数々の犠牲と多少の不便が守ってくれている。

2024年3月19日火曜日

日記

 海を見に行きたくなった。

正確に言えば、夜にお台場から見える海と、対岸の東京の街灯りが見たくなった。

昼過ぎぐらいからボケーっとしながら夜まで居座る予定でいた。



目の前にいたのでスマホカメラを構えたまま、近づいた。

途中でこちらに気づいた様子だったが、逃げない。

可愛い声で鳴いていた。

撮り終えた途端、飛んでいった。サービス精神のある子だった。

実はもう1枚ある。



同じ個体かどうかは不明。目をよく見ると人間の瞳とよく似た色をしていた。

イソヒヨドリだと思っていたが(海が近いので)ヒヨドリのようだ。

人慣れしているのか、ここまで近くで見たのは初めてだった。


さて、夜景を見にきたはずなのに、舐めた格好で来たせいで4時過ぎぐらいから寒くなり、帰宅せざるを得なくなった。

数日前暖かい日があったので、その感覚で来てしまった。春の気配はすれど、まだやってきたわけではない。

帰りの電車ではくしゃみが止まらなかった。身体が冷えた感じがあったので、寒さのせいだろう。なお、アレルギー性鼻炎の可能性も否めない。

2024年3月18日月曜日

日記

 疲れた。

最近よくわからない。

食べていて味がしないわけではないのに、後になって味がしたのかよくわからなくなるときがある。

空腹なわけではないが、余計に食べてしまう。

虚無だ。何をやっても進まない。何をしたいのかわからない。

何も浮かばない。

こんなもののために生物が生命を獲得し、動物が意識を獲得したというなら滑稽だ。

2024年3月17日日曜日

日記

ポケモンのメインシリーズのゲーム(という表現でいいのだろうか?)に、GTSというものがある。インターネットを通し世界中の人とポケモン交換ができるシステムだ。

どうやらクリスタル版(第2世代・金銀のマイナーチェンジ)の時点で似た機能がすでにあったようだが、携帯電話と接続して使用し、専用のプロバイダを介す必要があったため、そこまで普及はしなかったようだ(現に自分も知らなかった)。


GTSが実装されたのはダイヤモンド・パールからだ。

wiki情報ではクリスタルの発売が2000年、その後ルビー・サファイア(2002)、FRLG(2004)、エメラルド(左に同じ)とGBA時代を経て2006年。ポケモンのメインシリーズでは初めてのDSのソフトとなったDPで、めでたくお披露目されることとなった。

(余談だが、DPが出る前にスピンオフゲームが何作かDSソフトとして先行している。おそらく最初に発売されたのがポケモンダッシュで、青の救助隊・ポケモンレンジャーと続いた。)

グローバル通信機能が最初に登場してから6年の空白期間があったわけだが、この間、即ちGBAの通信形態は通信ケーブル(有線)からワイヤレスアダプタ(無線)に遷移している。

そして、DSでは通信用機器をはじめから内臓した形になった。さらに、設定を行うことでインターネットを利用した通信ができるようになった。


2006年頃といえば、ちょうどWi-Fiが普及し始めた時期だった。DPを買った当初、我が家はWi-Fiを導入していなかったため、GTSを使えなかった。

初めてGTSを使ったのは、従妹の家に遊びに行ったときだった。

そのときの衝撃はすごかった。世の中には、こんなにたくさんのプレイヤーがいて、リアルタイムでプレイをしている。珍しいポケモンがたくさん交換に出されていて、色違いを見つけたときは交換できたか否か関係なくテンションが上がった。

海老で鯛を釣るならぬケムッソでミュウを釣るような交換条件が多かったが、すなわち適切な条件を設ければあっという間に交換が成立した。

自分が預けたポケモンが交換されることも、預けられているポケモンをひたすら眺めているのも楽しかった。それだけで丸一日時間を潰すことができた。

それから程なくして、我が家にも無線環境が整備された。


さて、当時はGTSのWebページが存在した。リアルタイムで成立した交換が地球儀(地図だった気もするが、うろ覚えだ)上に表示されるというものだった。自分の預けたポケモンの状態が確認できたかどうかは記憶にない(確認する間に大抵交換されてしまうので)。

どのタイミングで登場したか曖昧だが、のちにグローバルリンク(PGL)ができたので、そこで交換の状態が確認できたと思う。

時代がSwitchに変わり、GTSとポケモンバンクが一体化したポケモンHOMEが誕生した。

あるとき、どういう状況かは忘れたがポケモンHOMEの状態を知りたくなり、PCで調べようとした。すると、ないのだ。

HOMEはスマホアプリ版とSwitchからしか開けず、PGLのようなマイページがWebには存在しない。

ポケモンHOMEに限らず、最近はこのようなものが増えてきた。しかも、スマホ版アプリのUIはあまりよろしくなく、機能も微妙で、普段そこまで使用しないのにホーム画面に居座り(一応整理はできるが、Webブラウザのブックマーク管理のほうがすっきりする)、容量を食う。

容量に関しては、ひとつひとつはそこまで大きいわけではなくとも、ゲームの動作を快適に保つためになるべく入れておきたくない。というのも、スマホの容量はPCのように融通の利く管理ができない。スマホに使用できるUSBメモリも登場したが、移動できるのは写真や動画・音楽データなどに限られている。

と愚痴を並べたところで、世間はスマホユーザが増えていきPC利用は減っていくだろうし、ライトユーザ、特に機械の利用に慣れていない人にとっては、店の人などに教えてもらいながらアプリを入れ、いったん設定してしまえば何もしなくてもいいアプリのほうが楽なのかもしれない。

にしても、わざわざスマホで住所の入力だったりを求められたり、別のタブを開くと入力内容が消えたり、PC上で管理しているもののコピペができなかったりと、ストレスが溜まる。

2024年3月16日土曜日

日記

 晴れた日には外に出掛けたくなる。

自然な感情に思えるが、どこか強迫観念があることも否めない。


時間の多くは労働に束縛される。生活のためにはお金が必要で、お金を得るには労働しなければならない。

時間を犠牲にしなければ、生活ができない。それがこの社会の仕組みだから簡単に逃れることはできない。

残った自由時間をやりたいことに使いたい。

やりたいことはひとつではない。

絵や文章を書く。本を読む。ゲームをする。海に行く。買い物に行く。水族館に行く。

これらは大きく2つに分類できる。行える条件が広いか、狭いかだ。

具体的に言うと、平日(労働日)の労働時間外でもできることと、平日では厳しいことに分類できる。

絵や文章などは、種類やその人の作業環境・作業スタイルにも左右されるが、概ね労働前や労働後自宅で行うことも可能だ。ひとりで遊べるゲームや読書も同じだ。

一方、水族館は開館時間があるので、移動も含めれば平日に行くのは厳しい。海も、自宅に近いのでなければ厳しい。買い物も日需品なら平日でもできるが、家電や家具、衣服、車などはまとまった時間があったほうがいい。当然、水族館と一緒で営業時間もある。


晴れた日の休日にどこかへ出掛けたくなるのは、平日にはなかなか行えないからだと思う。

平日にできることは平日の空き時間に置き、できないことを休みの日に優先的に実施する。深く考えていなくても、半ば無意識的にそうしているのではないだろうか。


2024年3月15日金曜日

日記

入ってから3か月もしないうちに部署の人が辞めていった。

人ひとり辞めるくらいで騒ぐことでもないのだが、その人が特に変わっているわけでもなかったのと、即日退職だったので衝撃だった。

自分よりも後に入った初めての人で、話したときは自分よりまともですぐに追い越されそうだとか、そうなったら自分の立場はどうなるんだろう、更新打ち切りだろうかとか、そういうことばかり考えていた。

そういうわけで動揺していたのだが、上司は何故か機嫌が良さそうだったので(他所でいいことがあったのかもしれないが)それも何か怖かった。

辞めることと続けること、どちらのほうが楽かは存外にも分かれる。
自分は辞めるときの諸手続きや心理的負担、何より就活が嫌なので余程無理な環境でない限り惰性で続けてしまうと思う。

2024年3月14日木曜日

日記

 すでに茹で上がっているタイプのカップうどんを作ったら、麺をほぐして湯を切るときにフタがちゃんと閉まっていなかったらしく、麺が飛び出していったので久々にブチ切れた。

惣菜弁当をレンジで温めたら、パックが弛んで不安定になり取り出すときにひっくり返ったり。

袋をわずかに開封してパンを温めたら、持ち運ぶときに穴が広がってパンが落ちたり。

最たる要因はこちらの不注意だろうが、以前より包装がぺらっぺらになっていないか?

そう思いながら大量のティッシュや新聞紙で落ちたものを包み、ゴミ箱に捨てる。


2024年3月13日水曜日

日記

 下を見るのが好きだ。


上を見るのも楽しいが、首が疲れる。

前を見るのは辛い。


足元には発見がある。人間以外の日常的な営みだ。

近所に意外な生き物がいたり、真昼間に夜行性のやつが活動していたり。

見たことのないやつが現れたり。

無生物でも、変なものが落ちていると、誰が何故落としたのか、そもそもこんなものを外に持ち出すことがあるのかとか、つい想像してしまう。


下を見るのはいい。

元気がないとき人が俯くのは、我々以外の存在に元気をもらうためだと思う。

2024年3月12日火曜日

日記

 自分がのろまなのか、作業の何もかもが思い通りに進まない。

無能な自分にいらいらする。

思考か集中力が散乱する。知らないうちに別のタスクを始めていたり、全然違うことを考えている。

決して効率主義ではない。例えば音楽や映像作品の鑑賞すら早送りで見る人たちのことを、タイパを求めるならそれは趣味ではないのでは? と思っているし、何かを実現するのだって最短ルートで行く必要はないと思っている。

しかし、無駄な行為に時間を潰したくないのだ。

創作だって進めたい。勉強したいことや覚えなければいけないことも山ほどあるし、勉強したら新たにわからないことも増えるだろう。それなのに、まったく進まないからいらいらする。

そして、いらいらする時間がたぶん一番無駄だと思う。

2024年3月11日月曜日

日記

 己の人生に虚無感を抱き始めたのは大学時代に鬱を患った時からだと思っていたが、もっと前からだったんじゃないかと疑い始めたのはつい最近のことだ。

過去の選択について、いわゆる"if"を考えることがある。それは、「あのときあっちを選んでいたらどうなっていたのだろう?」という類のもので、己の下した選択が明確に間違えていたわけではなく、後悔ともまた違う。ただ、漠然と他の選択のほうがよかったんだろうなという予想はある。

そのひとつが高校受験だった。

もともとは部活が理由で、偏差値が同等の別の高校を希望していた。しかし、家庭内の諸々の事情との兼ね合いで叶わなかった。
そして、冒頭で述べた虚無感を抱いたきっかけがおそらく部活だった。断言はできないし、他にも要因はあっただろう。ただ、そのイベントを契機に明らかにおかしくなった。
わかりやすかったのは、放課後や休日の自主学習にまったく手がつかなくなったことだ。それまで、定期試験前などの部活のない時期は、平日の完全下校時刻までや、休日学校に来て丸一日問題集を解きまくったりしていた。それができなくなった。問題集やテキストを開くだけで力尽きたような状態になり、義務感や焦燥を食らい尽くす無気力に襲われた。

高3の半ばまで本気で目指していた大学も、どうでもよくなってしまった。

高校選択が確固たる後悔の記憶でないのは、当時出会い今も交流の続いている素晴らしい友人がいるからだ。それに、引き金となったのは高校時代の事件であっても、その問題だらけの気質が形成されたのは紛れもなく中学時代である。

突然こんな話をしたのは、ちょうど13年と1日前に高校入試があったのを思い出したからだ。小学生の卒業式と違い、中学は卒業生合唱はありながらも厳しい練習は求められなかった(在校生のほうが求められていた)こと、さらに、入試まで義務教育の範囲の学習を終えていなければならないので、以後授業がなかったこともあり、入試翌日は宙に浮いたような感覚だった。

初めて体感する非日常感は、その日の午後さらに強まることになった。地元は丸一日+αの停電被害で済んだような地域だったが、空気というか、世界がはっきりと変わったような気がしたのは覚えている。

かの震災の日、今の小学生以下はまだ生まれていなかったという事実に衝撃を受けるのは今更か。しかし、熊本地震もいつの間にか今の小学生低学年以下の子供たちは生まれていない時代になっている。

少しずつ受け継がれる立場から受け継ぐ立場に変わってきているのを感じる。



2024年3月10日日曜日

日記

 一歩も家から出ていない。


外に出掛ける気がなかった。

昼、あまりにも眠かったため久しぶりに昼寝をした。悪夢を見たような気がするが、内容は覚えていない。

最近花粉がひどいらしい。自分はハウスダストのアレルギーも持っていて花粉症かどうかわからないが、この頃鼻水が増えたような気がする。

さらに、しばらく落ち着いていたアトピーがぶり返してきた。乾燥のせいだろうか。

週末の終わりに浮かぶ感情が、絶望から諦観や虚無に変わってきた。しかし、無意識に零れる言葉は少しも変わらない。



2024年3月8日金曜日

日記

 国際女性デー


雪が降ったらしいが外に出ていないのでわからない。

確かに冷える日だったとは思う。


東北の雪の日を思い出すと、色がなかったなと思う。

降ってくる雪の白。積もった白。

空は鈍色。

除雪されたコンクリートは黒。

日の光がないから、あらゆるものが暗く見える。

まるでモノクロ写真を見ているようだった。


そういえば、高校卒業生や大学生は春休みの時期だ。

今や縁のない存在となってしまったが、当時はずっと休みが続いて欲しいと祈りながらも、来る新年度に何らかの期待を弾ませていた。

そのときの気持ちは遠い昔に忘れてしまった。

長い長い雪の日を歩いているような感覚がする。

2024年3月7日木曜日

日記

 マクドナルド てりたま 昨日から


春なんだろうか。

未だに寒さに震えながら夜を越している。

家にいるときはだいたいこたつを点けている。片づけのことを考えると面倒くさい。

春の始まりを感じるのは、東北に住んでいた時は雪がすっかりなくなった頃だった。しかし、こっちは滅多に雪が降らないから、自然からのわかりやすい目安がない。

気がつけば寒くなっているし、街にはクリスマスの飾りが増えるし、年末年始の予定を各所から聞かれる。それでようやく冬になったと感じる。春はもっとわからない。

桜だけではない気がする。

一方で、春の終わりといえばゴールデンウィークだと思う。あの連休が終わった瞬間、日常というか慣れというか、そういうものに戻される。紛れもなく境界が存在する。


手が冷えてきた。


2024年3月6日水曜日

日記

人生がつまらない。


やりたいことはある。

こう生きたいという希望がないわけではない。

ただ、それを叶えるにはあまりにも才能が足りない。

希望を譲歩したところで、己のやりたいことを義務が妨害する。

生きるために最低限成すべきことがあまりにもしんどい。

社会不適合者だと思う。


望まない土俵に立たされて、弱いのなんの言われるのに疲れてしまった。

誰も視界に入らない静かなところで、ひとりになりたい。

2024年3月2日土曜日

日記

比較的曇りに近い晴れ

前日までお台場に行くつもりをしていたが、急遽多摩動物公園に行く。
チョウケンボウとハヤブサの違い(外見)がわからない。

昆虫館と温室がよかった。
あの場所だけで1日潰せるのではないだろうか?
大温室では目と鼻の先をチョウが飛んでいく。大型種は一般的なアゲハよりでかい。
ぼーっとしているとカバンに止まることがある。
飛んでいる姿は、優雅でゆったりとしている。例えば、野生だとさっと飛んでいってしまうキチョウも、ひらひらと御姿を堪能させてくれる。

チョウだけでない。トノサマバッタも呑気だ。
捕まえようとすれば簡単に捕まりそうだが、当然捕獲は禁止されている。
虫が大丈夫な人、むしろ好きだという人は是非。
チョウが苦手な人にはおすすめしない。本当に距離感がおかしいので。
ちなみに部屋から出るとき、壁の高い位置にひっついているオオカマキリを見た。

大温室と別の館ではハキリアリの一家が見られる。国内の展示はここだけらしい。
オオゲジ(顔は可愛い)、大型ヤスデ(何故か嫌われがちだが無害で可愛らしい)、もっさりしているほうのごきぶり(可愛らしい)、ダメなごきぶり(そのへんにいるやつ)、水生昆虫ナナフシカブクワその他大勢も見られる。
昼飯を食べるタイミングを逃してしまい、ちょうど空腹時に眺めていたイナゴが美味しそうに見えた。

そういえば、死ぬまでに生きたタマムシを目の前で見たいと思っていたことを思い出した。

2024年3月1日金曜日

日記

 3月はじまり。

昨晩は疲れて8時前には寝た。
しかしどうも眠れなかった。
疲労と寝つきは必ずしも伴わないことはわかっていたが(睡眠障害だと眠気と寝つきですら伴わない)、かと言って起きていても疲れのせいで何もできない。
疲れているときは大抵頭が働かない。

3月頭といえば、高校の卒業シーズンだろうか。
高校卒業時は卒業式の練習など必要最低限しかやらなかったので、ほとんど記憶にない。
直前まで大学入試だったから当然かもしれないが。
自分は国立後期はセンターの点数だけで確実に合格できる場所に出願したため、前期が終わった時点でアウェイ状態だったが、それ以外の人たちは勉強や面接の準備をしていたと思う。

あの頃にはすでに――正確にはもう少し前から――人生を諦めていたんだろうなと、最近になって思う。